シュプスタ

本物の夢かどうかを判断する基準


読者の皆さんはどんな夢をみていますか?

夢といっても寝ている時にみる夢のことではありません。実際に描いている夢のことです。

「あぁなりたい」「こうなりたい」「あれもほしい」「これもほしい」

誰しも何かしらの夢を描いているものではないでしょうか。

今日はこの夢について考えてみたいのです。


人は誰しも夢を描きます。その夢は偉大なることから小さいことまで様々かもしれません。中には、夢なのか何なのかわからないなんてこともあるでしょう。

吾々は、本物の夢を描いたときにいきがいを感じ、やる気が出てきて、その夢を実現するために努力したくなるものなのです。

「夢はあるけどいきがいがない」なんていうことは絶対にありません。それは夢を描いているのではなく、違うものを描いているということになってしまいます。

夢でないものを描いても実現はしにくい。

したがって、吾々が夢を描いたならば、それが本物の夢なのかどうかをしっかりと考えておく必要があるのです。

ここに「本物の夢かどうか」を判断する簡単な基準があります。

それは、「その夢が人のためになるか、世の中のためになるか。単なる欲望から発していないか。」ということです。

もし、描いた夢が誰かの何かを奪ったり、世の中のためにならないことであったり、人の幸せにつながらないのであれば、それは夢の皮をかぶった欲望というものになります。

夢と欲望は全くもって違うものですが、勘違いしやすいものでもあるのです。

単なる欲望はたとえ叶ったとしても持続せず、その人の幸せにつながりません。

一方、本物の夢は周りを幸せへと導き、自身も心からの幸せを感じ、消えてなくなることがないのです。

一切を神にゆだねよ
あなたの描く理想が如何に不可能な単なる夢に見えようとも、何をあなたが心の中に描こうとも、それは必ず実現するのである。それが実現する為にはある時間経過を要するかもしれない。種を蒔けば発芽を待たねばならないのである。幼弱な芽はその発育が遅いのである。伸びないのをもどかしく思ってはならない。やがて大いに伸びる時が来るのである。それまではその芽をいたわれ。芽をかきとってしまうようなことをしてはならない。人の描く夢は人に宿る神の描く夢である。神は必ずその夢を実現するように助け給う。
(『新版光明法語 道の巻』P.47より)


モバイルバージョンを終了