宗教とは何か

さて、本題に戻って、「宗教とは何であるか」を書いておこう。

本来、宗教というものは「人間を幸せにするため」にあるものであって、その他の何ものでもない。

簡単に言えば、それを信じることで人が本当に幸せになるもの。これが本来の宗教である。

一方、宗教という名を語りながら、人を不幸にするものは、本来の宗教とは言えず、カルトという。

宗教団体の仮面をかぶった偽物が多いために本物を見いだしにくいのは残念なことだ。

さきほど、常識の話をしたが、常識と宗教は全くもってレベルが違う。

常識はうつり変わるものであるが、本当の宗教は、何千年と培われてきた人類の叡智なので、うつり変わらない。この未来永劫変わることなき叡智を宗教という。

たとえば、聖書の「殺すなかれ」や仏教の「不殺生」といった教えは未来永劫正しいとされるものだろう。

これがなければ今頃どんな世の中になっていたか分からない。

また、相手の幸せを考えたり、世界の平和を祈るといった行動も同じである。実に宗教的な分野だ。

我々、日本人も祖先から伝わる神道や仏教といった教えが背景にあるから、今の平和な世の中がある。

日本人は、そのことをもっと意識するべきだと筆者は思う。


初詣に行く習慣があっても常日頃そういう感情がなければあまり意味がない。形だけ真似しても得るものは少ないのである。

そんな話を踏まえて考えておくと、「自分が何を信じて生きるのか」というテーマは、人生におけるとても大事なテーマだといえる。何を信じているかで、その人の人生が決まるといってもよい。

そのため、怪しい団体に引っかかって人生を台無しにしてしまうくらいなら、何も信じないほうがマシである。

しかし、そのことが自分を限定してしまう一つの謬見に終わってしまっては問題だ。

いってしまえば、信じるものがあやふやで、世間一般の常識というようなものだけを信じているうちは、本当の幸せなんて掴めないものである。

我々は、本物と偽物を区別する「眼」をもたねばならない。偏見や自己限定の考えで世界を狭くしてはいけないのだ。

以下、読者がよくわからないものに引っかからないために、カルト(怪しい団体を含む)と宗教を見分ける項目を挙げておこう。

1.罪や罰、恐怖感を煽って心を縛りつけるもの。
2.全体的に暗い雰囲気が漂い、明るさがないもの。
3.その教えや教典でしか救われないという排他的なもの
4.莫大な金銭を要求するもの。
5.肉体の人間を神と崇めるもの。
6.教祖の上に神や仏といった存在がないもの。
7.壺などの物品を高額で売り、崇めるもの。

以上の項目に何かしら当てはまるものは、カルトもしくは詐欺まがいだと思って間違いない。逆にそういうものがなく、感謝や明るい思想を説くものは、下手なビジネス書よりよっぽど人格の向上に役立つものが多い。

もし、我々が世の中の役に立ち、世界の平和のために活躍しようと思ったならば、ある一定の信念、信仰や悟りのようなものが必要だ。

ぜひ、よい考え方にめぐりあって、素晴らしい信念をもち、明るい人生観を構築していただきたい。