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この世界は唯一つの神につくられたものであり、互いに一つの法則によって支配せられていて何らの例外もない。自分を不快にするものは、他の人をも不快にするし、他の人を幸福にするものは、自分をも幸福にするのである。

キリストはその原理を知っていて隣人を愛するとは「己れにせられんと欲する如く隣人に為せ」と教えているのである。それが人間が幸福になるための黄金律であるのである。

人間に幸福を来すには具体的な物質環境と云うものが善くならなければ幸福になれないと考えるのは間違いである。彼女が自分に好意をもっていてくれるのだと信ずるだけでも、人は有頂天の幸福感を味わうことが出来るのである。或る人に憎まれている、疑われている、悪い人だと思われているーと考えるだけでも人間は不幸になる。金殿玉楼と幸福とは大して関係はない。

(『新版幸福を招く365章』P.150より)

世の中の多くの人々が外界に幸せを求め、環境や境遇が良ければとか、金銭や地位さえあればと思って生活しているのは、誠に残念なことであります。

本当はそんなところに幸せなんてありはしないのです。

もし、金銭や地位など、外界に幸せがあるのなら、日本人はとっくのとうに幸せを勝ち得ているはずなのですが、どうもそうではない。

「幸せではない」と感じている人が多いように思うのです。


先進国の多くの人々が恵まれた環境にありながら「幸せを感じていない」ということは、「外界に幸せを求めても人間は幸せになれない」ということの証明なのであります。

では、どのようにすれば幸せになるのでしょうか。

その答えの一つが引用部分に書かれてあります。

つまり、吾々は、人のために生きたとき、人を愛したときに幸せを感じるようにできているのです。

“唯一つの神”とありますが、神という言葉が納得いかなければ、仏でもよいし、大自然でもよい。

吾々の内に宿る生かす力、法則、本質の部分がそうさせているのだということです。

これは、法則ですから、例外なくそうである。

隣人のために生きることが幸せの黄金律なのであります。