人間の心の荘厳さ
物質が自動して一定の形に配列することが出来ないのに、日月星辰と云う完全な天体系統が形成され、その天体の上に、組織の極めて複雑精緻なる構造を有する動植物が造られたと云うことは、その構造に物質の分子を列べる智慧ある「心」がなければならないのである。

宇宙全体をかく設計構造した「心」は「宇宙」に満つる心でなければならない。その「宇宙に満つる心」を神と云うのである。その心は宇宙に満ちているから、人間のうちにも宿って人間の心となっている。

だから人間の心は神の心と同じように何でも造る力を有するのである。
(『幸福を招く365章』P.6より)

筆者は小学生の頃、理科の教科書に掲載された地球や惑星、宇宙空間といったものに不思議さを感じた。

なぜ、天体が浮かんでいられるのだろうか。

本当に地球の中に自分は生きているのだろうか。

地球が凄い速度で回転しているのに、なぜ私は吹き飛ばされないのだろうか、など、小学生ながらに色々と思ったものである。

いわゆる神秘的な話に心の中がざわついたわけだ。

ところが、物理学で「なぜ」を考えても答えはでない。

万有引力と名前をつけることはできても、なぜ万有引力があるのかなんてことは分からない。

いくら物理科学が進歩しても、地球を動かす力がなぜあるのか、その理由については解明できないのだ。


そんなわけで、いつしかそんな疑問を考えるのもばかばかしくなり、そのとき感じた関心も薄れていく。

そして、自分が地球に生きているなんてのは、単なる当たり前のことになり、目の前の生活だけを考えるようになる。

人々が金や名誉を欲しがる姿を見て、それが得られれば幸せになるかのような錯覚に陥り、自分もその中の一人になってしまう。

しかし、吾々は間違いなく宇宙空間の中に、地球の中に、自然の中に生きており、その恩恵を受けて生活している。

いうなれば、大自然に生かされているのである。それは金で買うことのできない偉大なる力なのだ。

都会に住み、現代に生きる吾々はそのことを忘れがちである。昔の人の方がよほどそのことを意識し、畏敬の念をもって自然界に接してきたのは、いうまでもない。

引用した部分から学ぶべきところは、その大自然の生かす力、宇宙を秩序整然と設計構造した心、その奥の奥なる「宇宙に満つる心」を神と呼び、その心が吾々の心の奥底に宿っているということだろう。

現代人がどれだけその恩恵を忘れ、意識せず、神を否定しようとも、この大自然や「宇宙に満つる心」に生かされている事実は、決して変わらないものなのである。

そして、その心と同じ心が吾々のうちにあり、人生を創造し、世界をつくっていく。

人間は心で幸せを創造していくことができるし、反対に不幸を演出することもできる。

そんな何でも造る力、素晴らしい心をもっているという話だ。

筆者は、その心の不思議な働き、大自然の恩恵、そして、この世界の神秘さから精神科学に興味をもった。

現代に生きる吾々は、この世界の神秘さに畏敬の念をもち、もっと深く学んでいく必要があると筆者は思う。