皆さん、こんばんは。

今日もご訪問下さいまして、ありがとうございます。

早速ですが、本日のテーマは「神と仏と自分自身の関係」についてです。


神様や仏様というと、何だか自分とはかけ離れた存在で、いるのかいないのかも良くわからないし、あるのかないのかもはっきりしない。そう考えていらっしゃる方も世の中には多いのではないかと思います。

はっきりと目に見えるものだけを信じていたら、どちらかというと存在しない。そういう考えになるのも無理はないでしょう。

いってしまえば、目に見えるものだけを信じている人にとっては、神様や仏様はなかなか信じられない存在なのです。

しかし、目に見えるものだけが本物かといったら、そうではないのがこの世の中です。むしろ、目に見えない存在の方が多いのが実際のところではないでしょうか。

人間のごく一部の感覚だけを頼りに生きていても、本当のことなんて見えやしません。吾々はそんな視野の狭い人間になってはいけないと思うのです。

大きな海に出た時に見えてくる大きな存在、それが吾々を生かす力であり、神であり、仏といいます。吾々はそのことを意識しないでも生活が出来ますが、それはただ単に忘れているだけなのです。

自分を生かしてくれている力、つまりは内に宿っている神や仏に気づき、生命の本物の部分に触れた時、何とも言えぬ感動と喜びが湧いてきます。それは、そこに吾々の本質があるに違いないからなのです。

人間は神の自己実現
人間が神の自己実現であることは、直覚認識によって知ることが出来るのである。『法華経』にある「仏と仏とのみよく諸法実相を究尽したまえり」であり、『正法限蔵』にある「仏ほとけに伝えてよこしまなることなき」である。天地普遍の仏の生命と、自己にやどる仏の生命と、カチカチ触れ合う底の直接覚によって、われ神の自己実現なりとわかるのである。これによってキリストはみずから神の子なりと言い、これによって釈迦牟尼仏は「天上天下唯我独尊」と説いたのである。
(『新版光明法語 道の巻』P.216より)