心の幸福が本当の幸福
この事さえ成就すれば私は屹度幸福になれると思っている人が、それが成就した後で幸福になれない実例は沢山ある。胃病の人は胃が治れば幸福になれると思うが、胃が治ったあとは又別なことを悩み出すのである。あの女と結婚すれば幸福になれると思っていた人が結婚した後に毎日夫婦喧嘩をして決して幸福でない実例もある。これだけ富が出来たら屹度幸福だと思っていた人が、それだけ富が出来たときに、社会的な色々複雑な問題が紛糾して幸福になれない人もある。考えて見れば、幸福とは個々の事物にあるのではなく、其人の心の状態にあるのである。心の幸福な人は常に幸福な人である。

(『新版幸福を招く365章』P.254より)


みなさん、幸せですか?

幸せならどのくらい幸せでしょうか?

もし、幸せでないなら、幸せを得る方法をご存じでしょうか。

世の中に「幸せになる方法」と題するものは数多くありますが、幸せを得るために大切なことは実は一つだけなのです。

それは「本物の自分を発見し、表現すること」

いってまえば、これだけです。

しかし、たいてい場合はこの「本物の自分」というものが見つかりません。

なぜ見つからないのかというと、ほとんどの人はこの肉体の自分が本物だと思っているからです。

この肉体の自分を本物の自分だと信じているうちは、人間は決して幸せになることはできません。

なぜなら、この肉体はいつか消えてなくなってしまうものだからです。


いくら大金持ちになったとしても、いくら名誉を勝ち得たとしても消えてなくなくなるところに本当の幸せがあるでしょうか。

いつか消えてなくなるものが本物の自分だと信じていながら、心からの幸せを得ることができるでしょうか。

その答えは深く考えればわかるところでしょう。

吾々が心からの幸せを感じるためには、どうしたって「肉体を超えたもの」を信じなければならないわけです。

肉体を超えた存在、うちに宿る肉体以上のもの、そこに本物の自分があります。

この本物の自分は、常に善を求めて生きています。

病気になれば治りたいと思うし、貧乏であれば金持ちになりたいと思います。友人と喧嘩すれば仲直りしたいと思うし、いつだって幸せでありたいと願っています。

簡単に言えば、その善なるものが神であり、仏であり、本物の自分だというわけです。

神であり、仏である自分の中に悪いものは一つもありません。

悪いものを神や仏と呼ぶことはできないからです。

吾々が幸せになる一番の方法は、この神や仏をわがものとし、目に見える形にあらわすことなのであります。