すべてのものを愛せよ
汝の親を愛せよ、汝の子を愛せよ、汝の良人を愛せよ、汝の妻を愛せよ、汝の兄弟を愛せよ。汝の舅姑を愛し、汝の婿又は嫁を愛せよ。汝の国の人民を愛せよ、人類を愛せよ、すべてのものを愛せよ。
そこから無限の力がわき出て、無限の創造が行われるのである。併し愛することは執着することではない。愛するとは彼の生命を彼の生命そのものたらしめることである。牡丹をして牡丹の花をひらかしめ、朝顔をして朝顔の花をひらかしめることである。ものそのものの生命を解放して自由ならしめるのが愛である。
(『新版光明法語 道の巻』P.241より)


すべてのものを愛すことができたなら、実に幸せな毎日を送れるに違いない。

しかし、そう簡単にはいかないというのが大半の意見だろう。

周囲が愛せるものばかりであればよいが、ほとんどの場合はそうでもないというわけだ。

では、すべてのものを愛するためには一体どうすればよいのだろう。

少し前にもそんなことを書いたが、まず知るべきことは「愛とは何か?」ということだろう。

愛の本当の意味を知らずして、真に愛することなど不可能である。

愛と聞くと何だかうさんくさく聞こえる人がいるのは、本当の意味を知らない人が多いからだと思う。

巷でいう愛と本当の愛は違う。

すべての人を愛するためには、愛の本当の意味を知り、実践していくことが必要である。

また、この肉体が本当の自分だと思っているかぎり、真に愛することなどできない。

肉体はいつか消え滅びるものだから、永遠不滅の愛を表現しきれない。

いってしまえば、愛するのは肉体の自分ではないということである。

周囲の人を愛するといったときにも、その肉体的、物質的なものを愛するのでは足りないのである。

肉体や物質を超え、すべてのもののうちに宿る神様を愛する。

これが本当に愛するということだと筆者は思う。