皆さん、おはようございます。

ご訪問感謝申し上げます。

雨が続きますね。お百姓の喜ぶ季節です。
梅雨の時期は水の大切さを感じたいですね。

さて、今日のテーマは「永遠の価値を得るために」です。

永遠の価値を求めて
すべて滅びて無くなってしまうようなものには価値はないのである。物質的存在は常に変化し、常住の姿はなくやがて滅びてしまう。それゆえに物質的存在には永遠の価値はない。それは一時的価値又は利用価値であって、利用される期間を過ぎれば、その価値は”無”に帰するのである。それは恰も、握っている間はたしかに”在る”と触覚に感じられているけれども、掌を開いて見ると、煙になって消えてしまうような幻の価値である。握りをほどいて掌を開いても消えてしまわない、その掌の上に”虚空の無限”が載るような、そんな価値を求めなければならないのである。握りを放てば”虚空の無限”がわがものとなる。”虚空の無限”は空無ではない、全実在だ、全実在を自分の掌の上に載せるとき、彼は消えない永遠価値ある生活を送ることができる。

(『神と偕に生きる真理365章』P.21より)

永遠の価値、本当の価値を知らない人が多いのは、とても残念なことだと思います。

いつか消え行く物質に惑わされ、その生涯を物に執着して終えてしまう。

これほど空しいことはないからです。

物質はあくまでも表現手段のひとつにすぎず、本質ではありません。

私たちが永遠の価値を求めようと思ったならば、ダイアモンドやお金を得るよりも前に、まず心の宝物を得なければならないのです。

では、心の宝物とはなんでしょうか。

それは、神であり、仏であり、「良きコトバ」であります。

心に良きコトバの種を植えて、宝物として大事に育てる。

すると、気づいたときにはその良きコトバの種から実が育ってきて、私たちに心の宝石を山ほど与えてくれるようになるのです。

心の宝石とは、良きアイデアであったり、愛深さであったり、やさしさであったり、人のためになる向上心であったり、努力する気持ちであったり、力強さであったりします。

私たちはこの心の宝石、心のダイアモンドを得ない限り、真の満足感や本当の幸せを得ることはできないようになっているのです。

たとえ、何億円もするダイアモンドを得たとしても、いつか消え滅びるものに永遠の幸せはありません。

何億円でも買えない「心の宝石」をしっかりと育て、手に入れること。

心の法則を知ることが何よりも大切なのです。