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今日のテーマは「欲をコントロールする方法について」です。

欲の陥り易くして
凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、多く忽せにする所にあり。
安政三年六月十日「講孟箚記」

【訳】だいたい、欲望というものが陥りやすく、後から振り返って、悔やんでも悔やみきれないのは、(心を)いい加減にしているところがあるからである。

(『吉田松陰一日一言』P.105より)

「欲」を広く考えれば、私たちの行動すべてが欲求に基づいているといえます。

食欲がなければ生きていけませんし、睡眠欲がなければ休むこともできない。性欲がなければ子孫を残すこともできません。

意欲がなければ前に進むことすらできませんので、私たちが生きていくうえで「欲」というものは必要不可欠なものだといえます。

どの欲求も人間にとって必要なものですが、「欲深い人間」が嫌われるように、欲が過剰になると問題が起きてきます。

食欲も睡眠欲も性欲も過剰であれば病気ですし、名誉欲や金銭欲が行き過ぎると不正に陥ります。

物欲にとらわれた人間には目も当てられません。

つまり、私たち人間にとって「欲」は必要不可欠であると同時に、その「欲」をコントロールすることも必要不可欠なのです。

この「欲」をコントロールする最大にして最高の方法が「心」をコントロールすることだといえます。

いい加減な心では欲のコントロールができません。

また、欲をコントロールする部分がなければ制御自体ができません。

この「欲」を制御し、正しき道へと進む最高の方法が”内なる神の御心にそって生きること”だといえます。

神の御心という言葉が合わなければ”仏の慈悲”でもよいでしょう。

神様・仏様といえば、善きものの源泉なのです。

“最善”と言い換えてもまちがいではありません。

「心を忽せにせず、自己の内なる“善”にしたがうこと。」

多くの人々がこの生き方に徹するとき、世の中は確実に良き方向へと変わっていくものなのです。